南部鉄器の起源
慶長年間、南部藩主27代利直公が、盛岡の地に不来方城を完成し、町割を定め、諸産業を興しました。
南部鉄器は藩内に産出する九戸地方の砂鉄と釜石、大橋、栗林などから産出する岩鉄を用い、歴代藩主の庇護のもとに、仏具や梵鐘からの茶の湯釜、鉄瓶に至まで制作され全国にその名がしられることとなりました。明治に入り南部藩が解体されえ岩手県となった今日に至るまでこの地方特有の伝統産業として、約400年もの間伝承されて参りました。
鈴木家の由来
鈴木家は寛永2年(1625)鈴木越前守縫殿家綱が南部家の本国甲州より御用鋳物師として召し抱えられ、仏具、梵鐘などを鋳造して代々藩の御用鋳物師を勤めて参りました。
近代になり茶の湯釜や鉄瓶も多く作り11代鈴木喜八が制作した霰紋南部形鉄瓶は名品として昭和60年(1985)伝統工芸シリーズの切手となりました。
12代から雅号を盛久とし、昭和49年(1974)13代盛久(繁吉)は、記録保存による無形文化財として国の指定をうけ鈴木家の名を広めました。
世襲により当主を引継ぎ現在は16代、受け継がれた伝統技法をもって、茶釜、鉄瓶、その他の鉄器の制作を致しております。